真宗佛光寺派 本山佛光寺

今月のともしび

常照我

イラスト 岡山県真光寺住職 守城尚子さんイラスト 岡山県真光寺住職 守城尚子さん

(略歴)成安造形大学メディアデザイン領域CG・アニメーションコース卒業。株式会社ピーエーワークスに約三年勤務。退職後に岡山県真光寺住職を継職。現在は、放課後児童クラブ支援員、イラストレーターを兼業。


 琵琶湖の固有種であるホンモロコ。昔は食卓に並ぶ身近な魚だったが、近年は数が減り口にする機会が少なくなった。
 漁獲量が減った最大の要因は、三十年ほど前から水害対策として琵琶湖の水位操作を始めたことによる。梅雨の前に琵琶湖の水位を下げるため、水際に産卵された卵が干上がってしまうのである。
 暮らしの安全を守るための水位調整。その背景に無数のいのちが犠牲となっている事実はあまり伝えられない。
 生きるということは他のいのちを奪うことである。今日まで私一人が生きるために、いったいどれほどのいのちを奪ってきたのだろう。
 念仏は私の姿を知らせるはたらきだ。いのちを奪う痛ましさに目覚めて欲しいと願う、仏の心が念仏として私に届くのだ。

  (機関紙「ともしび」令和7年9月号 「常照我」より)

 

親鸞聖人のことば

浄華というは、
阿弥陀仏に、
なりたまひしときの、
華なり

『高僧和讃』「天親讃」より(『佛光寺聖典』六〇五頁)

「如来浄華の聖衆は正覚の華より化生して」の「浄華」への左訓。
異本には「阿弥陀の、仏になりたまひしときの、華なり」ともある。


【意訳】

 (念仏者が生まれゆく)浄土の蓮華というのは、阿弥陀仏が仏におなりくださったときの華のことである。


 弟の仲人をお願いしたご縁ある先生が往生されました。


最期のご法話
 通夜の席で先生の最期のご法話の動画が披露されました。末期の肺がんをおして法話に立たれた先生は、念仏の行者がお浄土の蓮の上に生まれるという「如来浄華衆」の言葉を、親鸞聖人が上記のように釈されたことに感動しておられました。
 「私が生まれるお浄土の蓮の華は、阿弥陀さまが仏に成られたときのさとりの華と同じ華なのです。つまり阿弥陀さまと全く同じさとりの身にならせていただく。それが阿弥陀さまのお救いなのです。有難いですねぇ」
そう嬉しそうに仰って、「私は、もうすぐです。皆さんがたも、もうすぐですよ」
とお述べになりました。往生の三日前、先生は無常の悲しみの中で、いのちを支える法に遇えたよろこびに包まれておられたのだと、私には感じられました。

生死をこえる言葉
 葬儀でご子息がお父さまとの最後の会話をお話されました。
 「自分の命が終わっていく、そのことが目前かもしれないとお医者さまから聞いて、どう?」
そう尋ねたとき、
 「楽しみ」と仰ったそうです。
 「でも苦悩の旧里はすてがたくっていうやんか」
 「それはなぁ……。でも、昨日話した〈浄華〉……あのお言葉がなぁ。ぱっと前が開けたような、そんな心持ちがする」
 先生はそのご法語を身で味わい、ご往生されたのでした。
 我々が「もうすぐ」迎える死の絶望を、智慧の言葉は豊かに転じてくださるのでしょう。娑婆の名残を惜しむ心あるままに、お浄土の仏と成らせていただくこのいのちなのだと、先生に教えていただきました。

  (機関紙「ともしび」令和7年9月号より)

 

仏教あれこれ

「自分のことだけ」の巻

 先日、娘と買い物に行った時のことです。売り場の最上階には大型書店があり、私は娘と別れて向かいました。
 買いたい本はすぐに見つかり、さてレジへと思ったのですが、いま買うと荷物になるなとためらいました。それでも何とかなるかなと、上着の外ポケットに数回出し入れしましたがうまくいかず、ようやく内ポケットに入るとわかり、レジに向かおうとした時でした。
 わたしの近くに三人の店員がいることに気づきました。店員は棚の整理、在庫の確認をしていますが、ひとりは襟元の小さなマイクで誰かと話しています。
 行動がどうも不自然です。その時、ハッと気づきました。
 そう、わたしを見張っていたのです。わたしは「どうやって本を持って帰るのか」を試していたのですが、店員は「どうやって本を取っていくのか」を見張っていたのです。わたしは、はずかしさのあまり、本を置いて一目散にその場を離れました。
 その時、娘から連絡があり呼ばれた場所に行きますと店員さんが「いま試着中です」と言うので、少し先のベンチに腰掛け、先ほどの行動に後悔をしていました。
 「そんなところにいないでよ」と、突然、強い口調が聞こえました。見上げると娘がいます。
 ハッと気づきました。ベンチの前は、カラフルな女性の下着が並ぶ専門店だったのです。「店員さん、ずっと見ていたよ」と、娘は言うので、またまたはずかしい思いになったのでした。
 自分のことだけで、他人がどう見ているのかはまったく気づけないわたしでした。

  (機関紙「ともしび」令和7年9月号より)

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